仲間たち

H.Y(女性・家族・胸腺がん・大阪府) new
 82歳になる母に胸腺腫・胸腺がんの疑いがあると言われたのが2016年12月でした。どちらにしても大変な病気で患者数も少なく不安に思いながら、調べているところで患者会にたどり着きました。
 母は1月に胸腺がんと確定され、2月から放射線治療を始めています。
 同じタイミングで、大阪でふたつばの情報交換会があるという事で、すぐにふたつばに入会させていただき妹と二人で参加させていただきました。
 私は主人を小細胞肺がんで亡くしました。肺がんの中でも患者数が少なく開発される新薬は対象になっておらず、患者数の少ない病気の患者会の大切さを身に沁みて感じておりました。
 情報交換会で、何年も同じ病気の方に巡り合う事がなかったとお聞きし、患者会を立ち上げてくださった事に感謝いたしました。
 皆さんお若くてすべてが母に当てはまるわけではないと思いますが、患者会や皆様のお力をお借りして、母にとっていい治療が出来ればと思っております。
 お手伝いできることがあればいいなと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。
2017.2

M.K(女性・胸腺腫)
 手術のため大学病院に入院中、奇跡的にも同じ病気の女性と出会い、そこから色々なことが廻り出しました。患者会の話もいただき、もっと病気や治療法を学び、稀のがんの治療法の確立に向けて仲間と活動していけたらと思います。
 今現在、私は働けています。家族はもちろん会社や会社の仲間に感謝しながら常に一期一会だと思い、できることを楽しく一生懸命やっていこうと思います。再発の心配は常にありますが、患者会にできるだけ参加して情報交換していければと思っています。
2016.5

F.F(女性・支援者・68才)
 国立宮城高等看護学院卒業後、秋田大学病院に就職する。結婚とともに公立横手病院に勤務。
 勤務中にC型肝炎治療、同年、早期の肺がんを胸腔鏡にて切除する。62才の時に肝臓がんをラジオ波焼却法にて切除する。肺がんと肝臓がんのサバイバーとして15年になりました。
 2003年に秋田県肺がんネットワーク「あけびの会」を立ち上げ、代表を務めています。
 2008年、秋田県がん患者団体連絡協議会きぼうの虹を立ち上げ、秋田のがん医療の向上を願い活動しています。また、患者代表としてがんプロ会議に参加しています。
2016.5

山本ゆき(共同代表、関西支部長)
  夫・山本孝史が胸腺がんで他界し9年目になります。山本は参議院議員で主に命に関わる対策に取り組んでおりましたので、彼の遺志を引き継ぎ「山本孝史のいのちのバトン」を主宰し、がん、自殺対策などで他の団体と一緒に活動しています。がんにおいては、「NPO法人わたしのがんnet」代表、「NPO法人がん患者団体支援機構」副理事長を務めています。
 秋田県出身ですが山本の故郷の大阪に今も住んでいます。こちらではまだ胸腺腫・胸腺がんの患者さんとお会いしたことがありません。この2月に関西支部を立ち上げましたので、今後、関西の患者さんたちとつながっていけたらと思っています。
 国立がんセンターに「希少がんセンター」が開設されました。やっと希少がんに一条の光があたるようになりました。胸腺腫・胸腺がんの症例を集めて、センターや医療界、学会等に働きかけ、治療法の確立を求めていくことも「ふたつば」の大きな役割と思っています。仲間が増えることを願っています。どうぞよろしくお願いいたします。
2016.5

M.M(女性・胸腺腫・東京都・57才)
 去る1月23日、東京で初の「ふたつば」情報交換会に参加しました。曇天の寒い日でしたが心に温かな火が灯りました。
 私は、10年前の2006年2月,重症筋無力症を発症。入院後のCT検査で合併症である胸腺腫が見つかり、3カ月余りのステロイド服用後、開胸して胸腺腫を摘出しました。浸潤していた箇所も含め全てきれいに切除できたと言われ安心しきっていた3年後にまさかの再発。3度目の手術も受けてもうすぐ2年になります。
 ずっと半年ごとのCTで経過を追っていますが、今後も再発はあるだろうと覚悟しています。手術の回を重ねる度に重症筋無力症の症状が悪化していくことが目下の悩みです。呼吸苦・首が重い・疲れやすい等で長時間の外出は厳しくなりました。
 今回「ふたつば」に入会したのは、他の方の治療法、特に抗がん剤に関心があったからです。稀少な病気のため研究は遅れていて経験者からの情報は貴重で参考になります。
 「ふたつば」がなければ恐らく出会えなかった仲間と直接顔を合わせて話ができる事は心強く、闘病の大きな支えになってくれます。
 ふたつばを立ち上げて下さった代表の近藤さんの勇気と行動力に深く感謝し、今後の活動に大いに期待したいと思います。
2016.4

H.F(女性・胸腺腫)
 私は2013年、胸腺腫タイプB3、正岡ステージ4aの診断を受けました。今まで大きな病気とは無縁の生活を送っており、診断を受けたときは、まさに青天の霹靂でした。
 縦隔や胸腺という聞いたこともない言葉に戸惑い、何度インターネットで検索したことか・・・しかし、情報は限られており、私の住んでいる地域では、進行した胸腺腫の症例自体、稀であるという現実。先の見えない不安との戦いでした。
 そのような状況で、県外の大学病院を受診し、術前抗がん剤の後、手術をしました。
 現在は、定期的に検査・診察に通いながら経過観察をしている状態です。
 今回、「胸腺腫・胸腺がん患者会 ふたつば」が発足され、迷わず入会させていただきました。一生付き合っていかなければならない胸腺腫瘍の治療の展望に期待を寄せながら、同じ病気と向き合っている皆様と、治療や病状等の情報交換をさせていただければ、と思っています。
 この度は、患者会立ち上げにご尽力下さいました役員の皆様に感謝いたしますとともに、この会が胸腺腫、胸腺がんの患者、家族の力となり、発展されますことを心より祈念しています。
2016.4

T.O(男性・胸腺腫・埼玉県・41才)
 私が胸腺腫を発症したのは、今から約18年前の1998年のことです。当時私は、修士課程2年に在籍する大学院生で、大学の健康診断の際に腫瘍が発見されました。心臓よりやや大きい腫瘍が胸の中心にあることを初めてレントゲンで見たときは、強い精神的ショックを受けたのを覚えています。
 幸いなことに、技術力の高い外科医の先生と巡り会うことができ、その腫瘍は、手術で無事に摘出することができました。とはいえ、多くの症例に見られるように、私の胸腺腫も約4年ごとに再発を繰り返しており、これまで4回の手術を経験しています。これも幸いなことに、私の腫瘍は胸腺がんではなく、胸腺腫に属する種類のもので、普段の生活にはまったく支障はなく、元気に過ごしているのですが。
 胸腺腫は患者数の少ない珍しい病気であり、私もこの18年間、同じ病気の患者さんにお目にかかることはありませんでした。そして先日、ふたつばの情報交換会(東京)に参加させていただき、初めて同病の患者さんとお会いすることができました。しかしそれは同時に、胸腺がんの闘病の大変さを実感する機会ともなりました。私自身は今のところ体力に問題はありませんので、胸腺腫患者の環境改善に向けて、何かお手伝いできればと思っております。
2016.4

近藤セツ子(代表・胸腺腫・秋田県)
 胸腺腫発覚から9年目を迎えます。4回の手術をはじめとして様々な治療をしてきました。病気を抱えて治療を続けていますが、今できることをしていきたいと思い、がん関係の学会や講演会に参加して勉強したり、自分のがん体験を話す活動やがんセンターの患者・市民パネルの活動(28年3月まで4年間)をしてきました。
 胸腺腫・胸腺がんは希少疾患だけに情報が少なく、再発した時に情報収集してもごくわずかでした。当時は身近に同病の方もいなかったので、「患者会があればなあ。」と思っていました。たくさんの方々のご支援のもと、昨年ふたつばを立ち上げることができたので、患者仲間で情報交換したり支え合ったりしながら病に向き合い、自分らしく幸せに生きていけたらいいなと思います。
 どうかよろしくお願いいたします。
2016.4