症例の紹介

C.M(女性・胸腺がん・神奈川県・48才) new
 病気の自覚はまったくありませんでした(今にして思えば、半年ほど前から時折原因不明の高熱が出たり、肩から腕にかけて激しい痛みを覚えることがあったのですが)。2014年11月下旬の人間ドックで、前年にはなかった胸部の影があるということで、都内大学病院を紹介され、CT検査やPET検査、針生検の結果、胸腺がんと分かり、翌年お正月明けに胸骨正中切開による手術を受けて、胸腺まるごとと心膜の一部、リンパ節を切除しました。病理検査の結果、6cmx4cmx8cmの扁平上皮癌で、周辺臓器への浸潤やリンパ節への転移はなく、ステージIIと診断されました。
 退院後、自宅療養しているうちに、咳がひどくなり、高熱が出ることもあり、2月に再入院。手術の際の感染症などが疑われましたが、溜まっていた胸水を抜いて検査したところ、菌は検出されず、心膜切除したところに再建したゴアテックス製人工膜の拒絶反応で炎症が起こったのではないかとのこと。2週間の治療を経て症状は落ち着き、退院後は順調に回復し、4〜5月にかけて再発予防の放射線治療(1回2グレイを全25回)を受けた後は、定期的に検査に通いながら、今のところ再発も後遺症もなく元気に過ごしています。
2017.3

N.Y(女性・胸腺がん・京都府) new
 2015年1月、胸腺がんの手術を行い4月に放射線治療を終えました。その時点では主治医に最善の治療をしていただいたと思っていました。急性期の副作用の食道炎の症状も徐々に収まり、今後の不安感など精神的な変動も体も落ち着いてきた一年少し経過した頃、食道に違和感が起こってきました。その違和感が段々と酷くなり食べ物が日に日に通らなくなってきました。最後は水を飲むのも辛く、常に縄で首を閉められているような感じで、背中が痛くて歩くのもつらく背中を強くさすってもらわないと過ごせないような状態でした。内視鏡検査の結果は、放射線治療による晩期の副作用で食道狭窄を起こしていました。「胃カメラで少し食道に圧をかけたので前よりはましにはなっていると思うが、狭窄を広げるのは危ない。」と言われました。とりあえず様子をみていくのが最良で今はなにもできないと言われました。しかし、首から背中が苦しくて胃は丈夫なため常に空腹の状態。経腸栄養剤も水で薄めないとのどで引っ掛かる・・・。食事をとれないため、ふらふらして、苦しくて最後は座っていることしかできなくなりました。がんはなおったけど普通の生活ができないなら生きていたくないと、泣きながら遺書まで書きました。かかりつけの先生から、最初にがんを診断してもらった先生がいらっしゃる病院を紹介してもらい、入院して食事の管理や食道の状態などみていただきながら三週間寄り添っていいだだきました。そして、ペースト状態の食事がとれるようになり、えんげ痛や苦しさが収まってきた頃退院しました。それから介護食を利用しながら圧力鍋で柔らかくした食事などを工夫しながらとり毎日過ごしていきました。よいと言われる健康食品も色々と試しました。一年近くたって、一番ひどいときに比べれば随分いろんなものが食べられるようになってきました。辛い時期は放射線治療をしたことを悔やみました。「がんはよくなっても生活の質が落ちてしまうなら、たとえ再発したとしても生活の質を落とすことなく生きていけたのではなかったのではないか。」と。副作用に関する情報も少なくわからないことばかりでした。しかし人間とは本当に勝手なもので、副作用が徐々に収まり食事がとれてくると生きていてやっぱりよかったと思いだしたのです。二年再発しなかったという事実は放射線治療が功を奏しているのだと思います。がん治療は選択の連続です。しかも短期間のうちに自身で選択しなければなりません。胸腺がんなど希少がんは情報も少なくどうやって進めばいいのか途方にくれることが多いのです。そして副作用も人によって違います。もう少し副作用について、とくに晩期の副作用の情報がほしいと思います。
 何を選択するのか迷われたときに少しでも私自身が経験してきたことがお役にたてばと思います。
2017.2

A.T(女性・胸腺がん・東京都・48才)
 自覚症状はまったくなかったのですが、2014年12月の健康診断で受けたレントゲン検査で、前年は見られなかった影が肺に見つかりました。腫瘍マーカーでは異常なしも、CT検査、PET検査、針生検の結果、胸腺がんと診断が下りました。都内大学病院にて翌2015年2月に手術を受けましたが、心臓を包んでいる心膜、心臓から延びる大動脈と肺動脈、左肺に浸潤していて、腫瘍を切除できませんでした。化学療法を勧められましたが、稀な腫瘍のため効果の程は不明とのことで、大学病院を離れて、代替治療を模索。食事療法(ケトン食)、漢方、サプリメント、ハイパーサーミア、血管内治療(抗がん剤を含む薬剤をカテーテルで腫瘍の近くまで入れて新造血管をピンポイントで叩く療法)、ステロイドによる治療などを経て、6月からマイクロ波を使った温熱治療を開始。さらに、10月にサイバーナイフによる治療を受けた結果、12月には腫瘍の大きさが3分の1に縮小。年明けの検査ではさらに小さくなっており、PET検査の結果も微妙なところで、現在は今後の治療方法を検討中。サイバーナイフの後遺症は多少あるものの、元気に過ごしています。
2016.7

T.W(女性・胸腺がん(大細胞神経内分泌癌))
 2011年9月12日、倦怠感、食欲不振、発熱、背中の痛み、横になったときの圧迫感があり、内科を受診。風邪と診断されたが、「いつもの風邪と違う」と主張してレントゲン検査を受けたら、胸水貯留がわかり総合病院への紹介状をいただく。次の日、声がかすれ息切れもする。総合病院で各種検査の結果、病名は告げられず、呼吸器外科のある病院へ紹介状持参で受診するよう勧められ、その日の午後受診。胸腺腫と診断され、翌日から入院する。検査の結果、胸水はなくなり、6×5pの腫瘍が4×3pと縮小。腫瘍マーカーシフラの値が30(正常値は3以下)、胸腺がんの可能性90%と言われる。
 10月5日、胸骨正中切開による手術(拡大胸腺摘出術、所要時間4時間)を受けた。病理検査の結果、胸腺がん(大細胞神経内分泌癌)と確定。
 主治医から5年生存率35〜37%、産業医からは胸腺癌の中でも悪性度が高いということで放射線治療を勧められたが、自分自身で術後の治療はしないことを決めた。
 術後は、以前と変わらず大家族の家事、フルタイムの仕事を元気にこなしている。検査のため定期的に通院。術後から4年半、再発することなく現在にいたっている。
 手術後から2年間は肉類、揚げ物は一切食べず野菜中心の食生活。野菜ジュース、ヨーグルトは毎日。3年目からは普通の食生活にもどした。また、意識して楽しく笑って過ごすようにしている(急がない、焦らない、悩まない、深呼吸をする、大抵の悩みは時間が解決してくれる。考えても答えが出ないことは考えない)。
2016.5

M.K(女性・胸腺腫・52才・秋田県)
 2004年9月、重症筋無力症発症。10年目にして様々な検査をし、胸腺腫が見つかった。自覚症状がなかったが、既にステージVだった。すぐには手術できず、放射線治療後、右横隔膜神経、心膜、右肺切除手術を行う。稀の悪性腫瘍と言われる。1ヶ月後、病理検査の結果、胸腺がんと診断される。肺に癌細胞が認められ抗がん剤治療を行った。2クール後の検査結果は良好で癌細胞が認められないため、現在は半年に一度の経過観察となった。
2016.5

N.S(男性・胸腺腫)
2012.08異常自覚  体重減少・咳 
2012.11M診療所近くの診療所受診、即K医大H病院 入院を指示される。レントゲン画像で右胸の80%に胸水貯留を確認
2012.11K医大H病院胸部貯留水ドレナージ手術・腫瘍組織検査 
2012.12
(呼吸器外科)
組織採取から2週間後『胸腺腫・WA期』と診断広範囲に播種、血管にも浸潤しており切除は不可能
2013.02○市立総合医療センターT先生のセカンドオピニオン受診「胸膜肺全摘術は最終的には呼吸器外科医の判断によるが根治目的の放射線治療は不可能、化学療法が有効か否かは不明、術創感染がある場合はリスクが高い」
2013.05K医大H病院形成外科の助力で右胸創部やっと塞がる初入院から5回入退院 通算104日入院
2013.08
(呼吸器腫瘍内科)
『胸腺腫』由来の特定疾患『重症筋無力症』発症以前から食物が噛めない、飲み込めない症状あり
2013.09
(神経内科)
対処としては免疫抑制剤(プログラフ1mg×3)を毎日服用神経内科に入院して対処法を検索
6回目入院 通算124日入院
2014.04K医大H病院腫瘍浸潤による『上大静脈塞栓症』に対処のため放射線計30回照射上肢のうっ血、顔の浮腫み症状あり
2014.09
  〜12
3週間ピッチで計6回化学療法実施(パクリタキセル・カルボプラチン)7回目入院 通算139日入院
→定番の副作用を呈すも
2回目終了後腫瘍が縮小した
最終回12月18日、アナフィラキシーショックで呼吸困難失神、挿管直前に覚醒し事なきを得る
それ以降現状を維持 
2015.01
  〜06
月1ペースにて外来経過観察腫瘍は大きくも小さくもなっておらず現状維持
2015.07
  〜12
2月に1回ペースにて外来経過観察 
2016.02呼吸器腫瘍内科は変化なし、神経内科は症状・数値ともに安定してるのでプログラフ3錠→2錠/日に減らす 
2016.5

S.K(男性・胸腺腫・43才)
 2004年7月10日、僕は病院のベッド上にいた。「やった!気が付いたの!」妻の泣き声が聞こえる。妻に話そうとするが声が出ない。手足も萎縮し動けない。気管切開され、除脳硬直していたのだ。数日後、妻にこれまでの経過を聞いた。2004年5月7日、僕は突然意識を失い、人工呼吸器管理となった。精密検査の結果、胸腺腫の免疫反応による辺縁系脳炎と診断され、外科手術(胸腺全摘術)、ステロイドパルス療法、γグロブリン大量療法を行ったが、平坦な脳波が続いた。7月1日、先生から植物状態になるかもと話があり、同日放射線治療開始。妻が半分あきらめていた10日に僕は瞬きをした。妻は「神様はいる!」と思ったそうだ。翌日からリハビリ開始。1週間後には文字板で意思疎通、2週間後に車いすに乗り、1か月後に歩き、3か月後に退院した。103キロあった体重は53キロになった。さらに通院でリハビリを続け、2005年5月、眼科医に復帰、脳炎も回復し万事目出度しだと思っていた直後の8月に腫瘍が再発した。腫瘍は治ったと思っていたので、自分では初めよりこの時の方がショックだった。実は初めから腫瘍が胸腔内播種(Wa期)していたのだった。11月に再手術、その後も2回、計4回手術をした。2013年7月には強度変調放射線治療(IMRT)、2015年2月には化学療法(ADOC療法)をした。今も何とか仕事は続けている。これからも腫瘍と共存し、残された時間を、家族、友人を大事にして生きて行きたい。
2016.4

近藤セツ子(女性・胸腺腫・秋田県)
 2008年、人間ドックを受け縦隔に腫瘍が見つかりました。各種検査の結果、胸腺腫の疑いありということで手術になりました。タイプB3,U期の胸腺腫と判明、再発予防のため、40グレイの放射線治療を受けました。2010年胸膜播種・腰椎への転移が発覚、手術の後、腰椎に放射線を照射、並行して抗がん剤による治療(ADOC療法)を受けましたが効果なく、3ヶ月後、カルボプラチン+パクリタキセルで治療を受けました。それも効果が見られず、その後ステロイドを内服しています。  2012年、2015年にも播種を切除する手術を受けました。その間、ステロイドの増量やTS-1の内服(4ヶ月)を試みたのですがほとんど効果がありませんでした。また、骨転移への治療としてランマークやゾメタ、内用放射線による治療を継続してきました。今は激しい痛みはなく、ステロイドを内服して元気に過ごしています。
2016.4